桜ヶ丘便り

東風ふかば

 農業者大学校がつくばの地で農業者教育を開始したのは2年前ですが、農業者大学校そのものは東京都多摩市で40年にわたって日本農業のリーダーとなり得る農業経営者を輩出してきました。その多摩での最後の卒業式から1年が経とうとする2月末に多摩へと足を運びました。農者大のあった周辺一体が公園として整備を行っており、電車やバスから見る桜ヶ丘の風景も微妙に違っていました。
 昨年卒業式を行った校舎も、学生が食事をしていた食堂も、そしてみんなで生活していた豊饒寮も解体され、建物は全く無くなっていました。現在は土の中にあった基礎部分の掘り出しと解体を行っているようです。以前、通っている時には気にもしませんでしたが、あの傾斜地に建っていた校舎は、しっかりした基礎によって成り立っていたのだと実感しました。
 そんな変わりゆく風景の中、食堂脇にあった梅の木だけは昔と変わらず紅白の花を咲かせていました。昨年の、またその前の卒業式でも咲き誇っていた梅の花。

     東風ふかば にほひをこせよ 梅のはな
       あるじなしとて 春なわすれそ

梅の花

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建築40年の多摩校舎大型重機による取り壊し解体進む

 21年11月9日から始まった解体工事は、本館・寮の内装撤去に始まり、12月24日現在、本館(一部残し)、特別教室、図書館、B棟・D棟の駆体解体がほぼ済み、A棟の駆体が一部取り壊しが始まっていました。(写真は通用門から寮の方向を写す。)
  多くの卒業生・OBが見れば寂しい思いがこみ上げてこられる方も多いことと推察いたします。
  今後A棟、C棟、テニスコート、食堂と駆体解体が進み2月には建物はなくなり瓦礫の山となる予定です。瓦礫・鉄筋の搬出が済めば隣の桜ヶ丘公園の一部として東京都の管轄となります。
  多摩校舎は無くなりつつありますが、つくば校舎は校舎同様多くの明かりを吸収し、活力ある学生による農業者大学校魂が今後とも永遠に続くことを期待しています。

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「い草」便り

 最近の天候は不順だ。最高気温が30度を越した日があるかと思えば、逆に最低気温が10度を切ったり。北海道のように季節はずれの吹雪までがあった。人も大変だが農作物も大変である。
 先日、わが家のある茨城県水戸地方では、雹が降った。一時は氷の固まりが貯まるほどに降った。お陰でわが菜園の軟弱野菜のほうれん草やサニーレタスは無惨な姿と化した。それを見たある人いわく、「私たちはこれで生計を立てているわけではないからいいけど、農家の人たちは大変ね!」。同感だった。野菜工場が注目される昨今だが、農業の基本は「土」「太陽」「水」だ。これらの作用を左右するのが天候だ。多くの農作物の出来は天候次第なのである。
 とはいえ、もうすぐ梅雨、季節は着実に夏へと向かっている。歳をとると暑さは身に応える。健康のためには栄養とともに、睡眠が重要だ。そんことを知ってか知らずか、多摩の最後の卒業生T君が、自家特産のい草のゴザを送ってきてくれた。「ありがたい!」。
 T君の将来へ向けての課題はこのい草からの脱皮だった。在学中は派遣実習を含め、野菜の勉強に励んだ。しかし、卒業時点ではい草から入ってみることだった。T君の熊本県八代市はい草の産地、約500年の歴史と、国内90%のシェアも持つ。家も地域を代表するい草農家だ。
 日本には養蚕やい草といった、かつての花形農業が危機に瀕している。一方で一度は絶えかけた地場産の瓜や大豆、大根や蕪といった野菜の見直しも始まっている。その評価を決定するのは農業者自身だ。農業は経済行為である。しかし、生きる上では経済だけでなく「誇り」も大切だ。私はT君がこの「誇り」を失うことなく将来の経営を決定してほしいと願っている。
 卒業時、T君には「千辛万苦」ということばを贈った。一生懸命悩みもがいて自分の経営を確立していってほしい。この夏はい草のゴザに横たわりながら、私はT君の輝ける将来の「夢」を見たいと思う。

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忘れられない色紙

 農業者大学校の多摩からつくばへの移転に伴い、多摩の地から離れて1年。学年担当もしていた39期生の卒論発表会を聴きに、久々に多摩校舎を訪れました。筑波山の代わりに白い富士山が見える多摩の丘は変わらず、1年のブランクはなかったかのようでした。しかし39期生の姿を見、卒論発表会を聴いていると1年間の重みを感じます。仲の良い明るい雰囲気はそのままも、しっかりした態度を頼もしく思えました。
 農者大の卒論は農業者としての人生設計をまとめるもので、過去を振り返り、現在の問題をあぶり出し、未来を見据えていますので、卒論は人生の道標にもなります。多摩校舎の責任者である副校長は、発表会の最後に学生に指針になる言葉をそれぞれ書かれた色紙を進呈しました。

 話は変わりますか、39期生は多摩の最後の学生となります。卒業式にはつくばから1年生が駆けつけましたが、追いコンなどを開催することは難しく、39期生だけでの開催も覚悟していましたが、寮で一緒に生活していた先輩達が開催してくれることになりました。卒論発表会の日に1つ上の38期生会が追いコンを開催し、1年の時に3年生だった37期生は卒業式に参加をしてくれました。1年または2年ぶりに合う人もいる卒業生達でしたが、学生の頃と変わらぬ仲の良さで、賑やかに盛り上がるもの、討論しているもの、酒を酌み交わすものと学生時代と変わりません。そんな卒業生の一人が副校長に「もらった色紙大事に持っている」と言い出すと、俺も俺もの大合唱になりました。卒論発表会の時、恥ずかしげにおどけてもらっていた人や、いらねえよと憎まれ口をたたいていた人も合唱に加わっています。
 どうか、この色紙と10年後、20年後にまた向き合ってほしい。そのとき感じたことが、農業者大学校での3年間の集大成なのかもしれない。

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変わった「追い出しコンパ」

 多摩校はこれまでの農者大の伝統にのっとって、39期生卒論発表会の夜に恒例の卒業生「追い出しコンパ」が行われた。長い原稿用紙50枚の卒業論文を書き終え、多くの校長をはじめとする職員が居並ぶ前で発表したことで、卒業となる。だからこの夜のコンパは、これに耐えたことへの無礼講の場でもあるし、卒業する学生とっては待ちに待った行事でもある。
 ところが、今年卒業の39期生には後輩がいない。いないわけではないのだが、1年生である41期生は遠くつくばで学んでいるため、追い出してやりたくてもそれがかなわない。そこで、校長はじめ多くの職員が大挙してつくばから多摩に押しかけ、発表に引き続いてコンパまでを見届けてくれた。そして、この肝心なコンパの企画であるが、昨年卒業の38期生が南は鹿児島から北は岩手、山形から駆けつけくれて、やってくれたのである。こうしてこの一年、先輩と職員が追い出し役で恒例の「追い出しコンパ」が実現した。例年は後輩が後片付けまでやってくれるので、かなり伝統的な派手な演出もあるのだが、今年はそれもかなわず、やむをえず外でのコンパとなった。
 スケールも小さく、外部だったので思い切り羽を伸ばすことはできなかったが、飲みながらゆったりした気分で語り合い、1年ぶり再会の情報交換もできて、短い時間だったが一人一人の心には、思い出に残る「追い出しコンパ」となった。さすが「白雪に誓った友垣」たちだ。
 おっといけない。コンパで大事だなこと忘れてしまった。校歌を歌い忘れてしまった。でもいいか。卒業式で思いっきり歌うから。

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39期生農林水産省訪問

 着々と卒業に向けた準備を進めつつある多摩校舎の39期生は、2月10日(火)、千代田区霞ヶ関の農林水産省を訪問しました。これは、1年前の38期生の訪問に引き続き、日本の農政の中心である農林水産省が、どのようなところでどんなことをしているのかを少しでも学生に体感してもらおうと企画されたものです。
  当日は、朝10時30分に多摩校舎を出発し、12時過ぎに霞ヶ関に到着。農林水産省の地下食堂にて昼食となりましたが、日頃とは違った慌ただしい雰囲気に学生達も少々面食らった様子でした。
 午後からはいよいよ研修を開始。まず経営局人材育成課で本日の行程を説明していただいた後、大臣官房政策課の榊参事官から「農林水産省の基本施策について」の講義を受けました。講義は終始和やかな雰囲気で進み、世界の食料需給の動向から担い手育成、食料自給率の問題など多岐な話題について説明していただきました。
 休憩を挟んだ分科会では、生産局の生産流通振興課と畜産部(畜産企画課、畜産振興課)の協力も得て、花卉、果樹、野菜、畜産の4班に分かれて農林水産省職員との意見交換を行いました。意見交換では、それぞれ担当部署の施策について説明を受けるとともに、学生からは卒業論文の概略を説明し、それらに基づいて質疑応答していくといった形式で行われました。私が出席した果樹の分科会においても、流通や消費拡大、地域における農業と普及所の利用等学生の素朴な疑問や意見に対し、担当職員からは真摯に回答していただきました。
 今回の農林水産省訪問は、卒業を前にした39期生にとって貴重な体験となったはず。彼らは、こうして見聞したことを農業者となった後にもきっと役立てていってくれることでしょう。

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富士山を仰ぐ

富士と桜

 日本晴れの本日多摩校舎食堂の頭上に日本一の富士山を観ることが出来た。桜のつぼみはまだ春遠くふくらみを見せていないが、このつぼみが花になり、桜散る頃桜吹雪に見守れながら40年の歴史に幕を閉じ多摩校舎は閉校となります。
  現在の校舎周辺は夏のうっそうとした樹木の緑葉はなく、針葉樹が点在しているぐらいでほとんどの樹木は葉が落ち大幹と小枝のみで寒々とした風景が広がっています。
  21年度からは富士山の変わりに筑波山を仰ぎながら勤務することになるのだろうか?

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切磋琢磨

 来年3月で閉鎖する多摩校では、いろいろと「最後」となる行事が続く。先日行われた体育部行事も同じだ。体育部主催の学校あげての行事だが、今年は体育館も取り壊され、グランドも売却されてないので、地元多摩市の総合体育館を借りてバレーボールとドッチボールを行った。学生数は19名、職員数も6名と小所帯のため、留守番に一人職員を残しての行事となった。とはいえ、このためだけに体育館を借りるのも大変なため、行事は最後の体育の授業の中で実施された。
 試合は三つのチームに分かれ、二つの行事の勝敗の総合で決められる。学生は全員22歳、職員は62歳の私を筆頭にみんな中高年だったが、みんなレギュラーで時々選手が交代する程度でほぼ対等なレベルで競技は行われた。適当に手心は加えてくれてはいたものの、迫力満点の学生の打球や投球には職員には戸惑いもあった。しかし、終わってみると却って爽やかで、試合の途中でしばしば行われたチーム内のハイタッチで、学生と職員という一線を越えた一体感があった。
 どちらも団体競技であるため、勝利するためには互いの技の競い合いと、カバーし合う協力が欠かせない。まさにチームメンバーの「切磋琢磨」が鍵になる。これは勉学でも、寮生活でもいえることだ。多摩ではいよいよ卒論の仕上げに入っていく。原稿用紙50枚を目標に、既に発表のスケルトンに沿って書いていくのだが、なかなか骨が折れる。やはり全員が書き上げて行くにはここでも「切磋琢磨」が重要になる。何とか「切磋琢磨」で農業者大学校3年間の最後の締めを行って欲しい。そう閉会の挨拶で述べて、最後の体育部行事は幕を閉じた。そして、23年間体育の授業を担当して下さった講師の前野先生にお別れの挨拶と、お見送りをして夜のコンパへと移っていった。

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獅子よ!目を覚ませ

 多摩校開催が最後の第38回豊饒祭(11月16日)も終わり、あっという間に2008年も師走に入った。豊饒祭は41期生との合同開催であったが、互いの連携で準備から当日の運営、翌日の後片づけに至るまで滞りなくできた。さすが「21世紀の農業者」を目指す朋友たちであると感動した。
 ここまでは見事な多摩の39期生であったが、悪い癖があって、一つのことを成し遂げると一息ついてしまうのだ。豊饒祭まではあれほど緊張し、計画的に動き回り、連携し合って来たのに、祭の後は「眠れる獅子」の毎日なのだ。張り切りすぎて風邪を引いたりして体調を崩したのも大きな原因だが、普段の授業生活に戻った途端、意気消沈してしまっているのだ。
 10月28日に卒論スケルトン発表会を終え、卒論作成上は「年内に大まかな下書きを作成し、ゼミ担当教員の指導を受けるぐらいの取り組みが望ましい」(ガイドブック)のだが、なかなか盛り上がらないのだ。確かに豊饒祭も、最後の1週間の活動が目覚ましかったのだが、卒論を「書く」というのは祭の準備のように全てを共同作業に委ねるわけにはいかない。むしろ、「自分で考え、自分で書き綴る」という孤独な戦いが基本だ。みんなで励まし合って書き上げて欲しいが、それは精々情報交換であって、書きまとめるのは「己一人」の力に依らなければならないのだ。
 というわけで、多摩の老人には静かな教室と、静かなゼミ室を横目に、「眠れる獅子よ!早く目を覚ませ」と祈る日々が続く。

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〔39期生家庭訪問〕体力と知力を鍛えよ

 福岡県うきは市のN君の家は米と柿が中心である。夏に訪れた時はちょうどウンカやカメムシの出るシーズンで毎日稲の消毒に明け暮れていた。
 「これからの農業は何でも差別化していかないといけない。JA頼りではダメ」と話されるお父さん。米は「豚糞利用栽培米」「減農薬栽培米」として販売している。「来年からは息子も帰るので期待している。帰ってくることを当てにして計画も立てた」と、自前のライスセンターの整備拡張が行われていた。N君に現場を案内して見せてもらったが、なかなか立派な施設だ。
 「帰るまでにもう少し体力をつけてもらいたい」と注文をつけられていたが、どうやら穂肥追肥作業では相当バテたようだ。学校にも「人付き合いと体力、知力を鍛えてほしい」と注文をつけられた。とはいうものの、かなりN君の就農してくれることが楽しみな様子で、「早く認定農業者にして経営を譲渡したい。経営を渡されれば自分でも色々な工夫もするから」と期待をにじませておられた。
 ライスセンター見学の後、柿園をみせてもらった。これがとんでもないほど急な細い山道を登った所にあった。うきは市は柿の産地として有名だそうだが、こんな所に柿園があるとは知らなかった。米でも果物でも味は昼間の温度と夜の温度格差が大きいほど糖度が上がり、味がよくなると聞くが、これだけの山の頂上近くにあればかなりの温度差はあるはず。でも、実際に管理作業に当たるのも、収穫作業に当たるのも大変だというのが実感だった。それにしても案内のため軽トラを運転し、山登りをしたN君、とてもかっこうがよかった。もう何年もここで仕事をしているような感じだった。
 農者大で人付き合いと知力は鍛えられているはず。あとは体力だが、家に帰ってこんな柿園で毎日仕事していたら鍛えられますよ。大丈夫です、お父さん。

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